僕は発展途上技術者

Connecting the Dots - CoderDojo編

このエントリは以下の2つにわけました。

Connectting the Dots OtOMO編 からの続きです。

OtOMOのワークショップにこどもたちが参加し始め、僕自身も何度かファシリテーターをやるようになってから1年。当時僕が利用していたコワーキングスペース、下北沢オープンソースCafeのオーナーの河村奨氏より、アイルランドで始まったこども向けプログラミング道場 CoderDojo のことを教えてもらいました。きっかけとなったのがA-Listersに載っていた、GitHubサンフランシスコ会場でCoderDojoが開催されるという記事です。

開催場所は下北沢オープンソースカフェ、メンターはカフェの利用者にプログラマーやデザイナーが多いのでなんとかなるだろうということで、開催したい旨をメールで送るのです。

2週間後、CoderDojoの共同創設者James Whelton氏からの返事が届きます。

偶然にもほぼ同時期に東洋美術学校の副校長 中込大介氏もコンタクトしていたことがわかり、東京、日本およびアジア最初のCoderDojoを共同で、第1回はJamesの来日にあわせ、場所は東洋美術学校でおこなうことになります。

第1回までの時間、ウォームアップとして第0回、第0.5回を下北沢オープンソースCafeでおこないます。

そして、James Whelton氏来日。このとき若干19歳でした。のちに一般社団法人CoderDojo Japanを立ち上げることとなる安川要平氏を含むオープンソースカフェに良く来ていたメンバーがJamesを東京観光に案内します。

東洋美術学校でおこなわれた第1回 CoderDojo Tokyo。第0.5回およびこの第1回で、阿部和広氏がメンターとして参加し、ScratchからSqueakにもぐり、ブロックの挙動を変える方法を紹介しています。

最初のDojoのあとの数日後、CoderDojoのアイルランドでの様子、運営方法のコツなどを交換しました。

こうして現在のCoderDojo下北沢が始まり、いまでも毎週おこなわれています。

-こどもたちにプログラミングを教える CoderDojo Tokyo #1 を開催しました

同じ年の夏、アメリカはボストン、マサチューセッツ工科大学でおこなわれたScratch@MITに参加しました。

このときに出会うこととなる15歳のScratcherがもっとほかのこどもにもScratchの楽しさを伝えたいというので、CoderDojoのことを紹介し、「なんならやってみたら?」とアドバイスします。

このときの若者、宮島衣瑛氏がCoderDojo柏を立ち上げます。

同じ頃、WordPressのプラグイン開発者としてWordPressコミュニティで著名な宮内隆行氏が関西で最初のCoderDojoとなるCoderDojo串本を立ち上げます。

CoderDojo下北沢のメンターとしても参加していた高野直子氏が第一回 CoderDojo串本のメンターとして参加。また兵庫からわざわざ参加していた方もいました。

兵庫から参加した細谷崇氏はCoderDojo下北沢にも見学で訪れ、

CoderDojo西宮・梅田を立ち上げることとなります。

CoderDojo下北沢に約2年ほど関わったあと、最初は一緒に参加していた自分のこどもたちが部活で忙しくなったり、少しずつ興味が別のものに移りつつあり、僕自身もCoderDojoへの関心、情熱が薄れつつありました。それでもOtOMOへはたまに顔をだしたり、ScratchとドローンやロボットなどほかものとつなげるScratch2○○シリーズの開発を続け、プログラミング教育界には関わっていました。

2016年夏、関西を中心に各所で少しずつ立ち上がったCoderDojoが36となり、前述したCoderDojo西宮・梅田の主催者(CoderDojoではチャンピオンと呼称)細谷崇氏を中心としたコミュニティのメンバーがDojoCon Japanを大阪で開催します。

Scratch2○○シリーズについて話してほしいという登壇依頼を受け、阿部和広氏による「子供達にプログラミングをサポートする上で大事なポイント」 の基調講演で始まるDojoCon Japanに参加しました。

コミュニティとして大変盛り上がりをみせ、関西らしい初対面の人にもフランクにあたたかく歓迎してくれる人たちを目の当たりにし、その雰囲気をとてもうらやましく思いました。みんなが僕に対して、「なんならやってみたら?」という、いつか僕が言ったメッセージを送っている気がして、懇親会を去り際に自分の住む場所の近くにCoderDojoをつくることを宣言します。

2週間後、CoderDojo調布を立ち上げることとなります。

CoderDojo調布の第一回からメンターとして参加していた向井アリー氏は、自宅がある藤沢市から2時間近くの時間をかけて毎回来てくれていました。

また、まちクエストの同僚で沖縄在住の小川智史氏はかねてからこども向けプログラミング教育に興味をもっていました。

小川氏が東京に来ていたちょうどそのときに、CoderDojo調布を開催していたので見学に来ることを誘い、二人に「CoderDojoやってみたらいいんじゃない?」と言っていました。

2017年1月29日、同じ日にCoderDojo藤沢とCoderDojo嘉手納が始まります。

CoderDojo調布の一回目からメンターとして参加し、OtOMOのメンバーでもある猪股直規氏も、あきる野市から遠いところを通ってくれていたので、自分の住んでいる近くにCoderDojoをつくることをすすめていました。 立川に居を移すのをきっかけに、CoderDojo立川を立ち上げることになりました。

2017年11月、大阪で2回目となるDojoCon Japanが開催されました。

懇親会にて、再び細谷氏に乗せられ、こんどはDojoConの開催を宣言させられたのは、CoderDojo柏、CoderDojo立川、CoderDojoさいたま、そしてCoder調布と、奇しくも関東の道場ばかり、ということでDojoCon 2018は関東でおこなわれることとなりました。

「未来をみこして点をつなぐことはできない。未来になってから過去をさかのぼってでしかそれらをつなぐことはできない。だから、われわれにできることは、未来になってからそれらの点がつながるということを信じることしかない」

は、故スティーブ・ジョブス氏の言葉です。

この言葉自体は僕は好きですし、iPhone始め数多くの革新的なプロダクトを産んだ彼を尊敬はしますが、iOS版のScratchをApp Storeから削除し、開発者からの問い合わせのメールに対して冷たくただ一言「Sorry」とだけ返したジョブス氏には複雑な思いがあります。

故Steve Jobs氏に大きな影響を与えたコンピュータ科学者のAlan Kay氏は、Wiredの記事に次のようなコメントを寄せています。「子供もインターネットも、Apple社よりも大きなものだ。世界の子供達にとって良いものは、どこの上でも稼働できる必要がある」。Scratchは、Alan Kay氏が開発したSqueak環境の流れをくむプログラミング環境でもあります。

上記の話から、この点に関しては僕はアラン・ケイ氏に強く共感するので、最後は氏の言葉で終わりにしたいと思います。

The best way to predict the future is to invent it.

「未来を予測する最善の方法は、それを発明することだ」1971年、パロアルト研究所の研究内容の将来予測を再三に渡って求めるゼロックス本社に対する回答(経営陣と開発陣の軋轢や見解の相違を端的に表している)

DojoCon 2018が楽しみです。

Connecting the Dots - OtOMO編

このエントリは以下の2つにわけました。

Connecting the Dotsは、スティーブ・ジョブスがスタンフォード大学の2005年の卒業式でおこなったスピーチの中に出てくる有名な格言です。

You can’t connect the dots looking forward; you can only connect them looking backwards. So you have to trust that the dots will somehow connect in your future.

「未来をみこして点をつなぐことはできない。未来になってから過去をさかのぼってでしかそれらをつなぐことはできない。だから、われわれにできることは、未来になってからそれらの点がつながるということを信じることしかない」ということなのですが、目の前のことを、これは役に立つだろうか?自分にとって得なのだろうか?と考えるよりも、やりたいこと好きなことを一生懸命やれば、それが未来につながる、ということを教えてくれる言葉です。

2005年から遡ること約35年、パーソナル・コンピューターの父と言われるアラン・ケイはゼロックス社のパロアルト研究所の設立に参加、彼が提唱する理想端末「ダイナブック」を当時の技術で実現したAltoの上で、ユーザーが自らプログラミングできるSmaltalk環境を動作させてみせた。これを見学する機会を得たスティーブ・ジョブスがそのアイデアを取り入れ、LisaおよびMacintoshを開発したと言われている。

アラン・ケイが開発したSmaltalkを使ってシステム開発の仕事を手がけていた阿部和広氏は、2001年来日したアラン・ケイと出会い、「Smaltalkがこどものために教育のために生まれてきた」ということを知ります。以来教育の道を歩み、アラン・ケイがプロジェクトマネージャーの一人を務めていた2002年、2003年の未踏プロジェクトに参加、 アラン・ケイが手がけていた教育用のSmaltalk環境であるSqueak、およびその考えを引き継ぐScratchの日本での普及に大きく貢献します。阿部氏の活動の中のひとつに、当時月一でおこなわれていたOtOMOでのプログラミングワークショップがありました。

スティーブ・ジョブスのiPhoneの発表に衝撃を受け、発売当初はアメリカでしか発売されていなかった初代iPhoneを手に入れた僕は、ついに日本にも上陸し、開発者がアプリを作れるようになったiPhone 3Gで何かアプリを作りたいと思っていました。ひらがなを覚え始めた長男でも楽しめるアプリということで、ひらがなで単語を作って楽しめる「かなぶん」というアプリを開発してリリースします。

2010年iPadがリリースされ、さらに知育アプリを開発しようと考えていた僕は、初台のアップルセミナールームにておこなわれた、iPadをどう教育に活かすかを考える「iのある教育と学習」というセミナーに出席します。登壇者の一人、阿部和広氏が披露したのは「iPadはDynabookの夢を見るか」というプレゼンテーションで、そこではエンドユーザーのプログラミングを禁じたiPadに対する、こどもたちが自由にプログラミングできるOLPC + Scratchというもうひとつのプログラミング教育の形を示していました。

Apple Japan本社のセミナールームでiPad完全否定というこの話に衝撃を受けた僕は、即日3万円ほどのミニノートPCのEee PCを購入し、Scratchをインストールして自分のこどもたちにプログラミングを教え始めた。「かなぶん」以降、エンドユーザーがプログラミングできない知育アプリを作ることはなくなります。

その年の5月、「かなぶん」のデザインを手がけた前田製作所が「かなぶん」含めたいくつかのプロダクトを展示するということで、MTM05(Maker Faire の前身)を見に行った。そこでScratchのワークショップをおこなっていたのが、倉本大資氏が立ち上げたOtOMOで、阿部和広氏もファシリテーターの一人としてこどもたちにScratchを教えていました。

2011年3月、東日本大震災が東北を襲ったその約2週間後、僕はこどもたちを連れて三軒茶屋でおこなわれたOtOMOのワークショップに参加します。定例ワークショップでおこなわれたのは、阿部和広氏がファシリテートする「じぶんクエスト」でした。

Connecting the Dots - CoderDojo編 へ続く

プロフィール

株式会社まちクエスト代表、つくる社LLC代表。

Raspberry Piではじめる どきどきプログラミングを書きました。

Amazonから図書館検索 Libron、iPhoneアプリ ひらがなゲーム かなぶん を作っています。

Twitter @jishiha

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